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BIZEN OLD-KILN  ―備前窯の歴史―

 備前焼の歴史で最も長く使われてきたのは、土で造られた窯でした。

 

 その構造は、斜面に溝を掘り下げてその上に竹をアーチ状に組み、さらに上から土をかぶせて天井をかけた、トンネルのような窖窯です。

 最初の頃は10m前後の大きさの窯だったものが、南北朝時代から室町時代にかけて徐々に大型化、天井を支えるための柱が登場し始めます。

 安土・桃山時代に入ると、50m近い大きな窯も使われるようになりました。

 


 現在のような、小さな部屋が連る「連房式登窯」が登場するのは、備前では江戸時代後期まで待たなければなりません。この窯が造られた時代の年号が「天保」だったため、備前では「天保窯」と呼ばれています。「天保窯」は土を木の枠に入れて突き固めた日干しレンガ状の「らんま」を組み上げて造られました。

 

  明治時代に入ると、耐火レンガの製造が備前地域で始まります。そうすると、「連房式登窯」を耐火レンガで組み上げた窯が登場し、備前での主流な窯となっていきます。また、窖窯を耐火レンガで造るような取り組みも始まりました。

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